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カメラ産業の飽和点

「写真 甲子園 2008」を見た。

北海道の雄大な自然の中で、「人間らしさ」を持って「生きる」人々の姿が、純真な高校生の目で捉えられていた。

素晴らしい写真ばかりだった。

皆、首から、CANONの一眼レフのデジカメを下げていた。

ピントも、色合いも上出来である。

モノクロで、テーマを強調しているものもあった。

でも、感動したのは、捉えられている人々の笑顔だった。

やはり、写真は、被写体が発する感動を、撮影者がいかに捉えられるかで、その良し悪しが決まる。

優勝は新潟の高校だった。

審査委員長の立木氏も絶賛していた。

来年も若者達の素晴らしい目が、素晴らしい感動を届けてくれるだろう。

 

一昔前までは、カメラはフィルムを使うものだった。

使い捨てカメラが、子供やおばちゃんをカメラマンにした。

そこに捉えられていたのは、仲間であり、孫であり、自分達だけが理解できるテーマが大半だった。

たまに、旅行先の大自然が捉えられてはいたが、そこには、やはり、使い捨てカメラの限界が存在していた。

ピントが合っていない、逆光で顔がつぶれている、そして手ブレ。

 

そんな「カメラマン」が使っているカメラが、一斉に、デジカメになった。

顔を認識し、いくつもの測距点でピントを合わせ、逆光を補正し、手ブレも補正する。

誰が撮っても、殆ど、同じ結果が得られる。

一般の若者やおばちゃんには、充分過ぎるカメラが、2~3万で手に入る。

フィルム代はいらないし、無駄な写真を現像したり、同時プリントすることもなくなった。

仮にピンボケがあっても、消去してしまえばいいし、プリントしなければいい。

これはデジカメの最大の魅力だ。

一旦、プリントされてしまったものは、ピンボケでも、逆光でも、中々、捨てられない。

そこに写っている人が、仲間だし、孫だからである。

破れないし、シュレッダーにかけるのにも、抵抗感がある。

結局、どこかの引出しの奥に、眠ることになる。

デジカメの失敗は、消去できるし、パソコンのハードディスクの中で知らんぷりをすればいい。

そんなデジカメが僅かな値段で手に入る。

しかも、殆どと言っていいほど、壊れない。裏蓋の開け閉めがないから、当然かも知れない。

子供の運動会はやはり一眼レフ、という親達には、10万以下で、1000万画素のダブルズーム付きのキャノンやニコンが入手できる。

 

結果、今、カメラは飽和点である。

 

それでも昔は、買い替えや2台目の需要が、カメラメーカーを支えていた。

プロやセミプロは、デジカメでも、同じかも知れない。

そして、それらは、CANONかNIKONである。

 

ところが、絶対数が多い一般の「カメラマン」たちは、どこのメーカーのものでもいいのである。

その選択肢には、パナソニック、カシオ、フジフィルムという有名なメーカーのものがかなりの割合で含まれる。

結果に当たり外れは、殆どない。

 

 

キャノンが、大分で1100人をリストラするという。

デジカメの不振が原因だという。

 

不況でも優等生だったデジタル製品にも翳りが見え始めた。

そして、経済界の優等生だったキャノンにも翳りが見え始めた。

 

自動車産業も然り。

 

デジタル化で壊れない。

そんな日本の優秀な技術が、自らを窮地に追い込んでいる。

 

その日本丸の舵取りが出来ない宰相がいる。

否、宰相ではないのだろう。

 

一般企業が、この不況下で、生き残りのためにリストラを余儀なくされている。

日本丸の舵取りをする政治家もリストラの対象にすべきである。

政治家を評価する仕組みを作るべきである。

解散総選挙ではない。その前に、不要なものを切り捨てる仕組みである。

 

自民が分裂するかも知れないという。

 

島国だと言って、のんびりは出来ないかも知れない。

日本そのものが分裂するかも知れない。沈没するかも。

 

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